短編小説~夏が待ち遠しくて~

昭和55年の夏。

私が8歳だった時。

あの夏は一生忘れられない。

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「おかあさーん!ちかくのきたおかじんじゃにむしとりにいってくる!」

「はいよ、気をつけてね。」

私は夏休みの間、毎日近所にあった神社に一人でカブトムシやクワガタを探しに行っていた。

ミーンミンミンミーン…ツクツクボーシツクツクボーシ…

強く土に照り付ける太陽。少し鼻にくる緑の葉の香り。

汗が頬を走りながらも、それを拭ってくれるかのように爽やかな風が私の顔をそっと通る。

「きょうもあついなあ…どこかにかぶとむしいないかな?」

私は一人でぶつぶつつぶやきながら永遠に続く木々を探し続ける。

するとなにかを感じ、そーっと上を見上げる。

いた。茶色く、艶のある、繊細かつ魅力的な体の昆虫。

ミヤマクワガタだ。

私は足元の枝や葉っぱに気を付けながら、一歩一歩慎重に、大地の上を忍び足で歩く。

虫網を構え、腰を据える。

ブオンッ

蜂が耳を横切ろうと、動じない。目先のクワガタを取ることしか今は頭にない。

「よし、そのままじーっとしてろよお。」

きた、これはもう捕まえた。そう確信した瞬間ーーー

「あ!マコト!何やってるのーーー!」

バタッ

あっ。にげちゃった。

肌をも丸焦げにしてしまいそうなほど暑い中、私に向かって透き通るような優しい、でもどこか芯のある声が緑で覆われた森林を貫通した。

その声の元を見つけるため、くるくると私は回ると純白なワンピースを着て、水色のリボンが巻かれた麦わら帽子をかぶった女の子がいた。

クラスメイトのメグミだった。

「ああっ、くわがたがあとすこしでつかまえられそうだったのに!」

私は普段彼女の麗しさに見とれて全く話せないのに、さっきの悔しさが怒りに転じてつい叫んでしまった。

「あ、ごめんね…そうだよね、こんちゅうずかんいつもてばなさないほどだいすきなんだよね…」

彼女は申し訳なさそうに、下を見て、声量が突然小さくした。

「え、あ、いや、こちらこそ…ごめん、ね、いきなりどなっちゃって」

女の子と話しなれない私は頑張って彼女に嫌われないよう、必死に頭を下げる。

二人は同時に頭をあげ、お互いを見る。

一瞬だけ時が止まり、私は思わず彼女の瞳に吸い込まれてしまった。

二人は恥ずかしさから慌ててそれぞれ別の方向を見ながら自分自身を落ち着かせた。

「すこしおしゃべりしながらあるかない?」

メグミはそう言いながら、森林を抜けてジメジメしたコンクリートの上を歩いた。

私は彼女に続き、虫網を杖替わりに地面を突っつきながら歩いた。

「マコトくん、しゅくだいはおわった?」

「う、ううん。まだなにもてをつけてないや。メグミちゃんは?」

「わたしはあとかんじがのこってるかな。」

「うわあ、さすがだ」

私はぎこちなさそうに、メグミが投げてくる質問に丁寧に答えを考えながら言葉にして口から発する。

どこへ向かっているのだろう。

私はそわそわしながら気づかれないようメグミの横顔をちらと見る。

きれい。

しばらく歩くと、緑の絨毯のように広がる田んぼの中にポツンと横に広い家が建っていた。

メグミはその家に近づき、私に、

「ちょっとまってて!」

と言うとその家に入り、キンキンに冷えたラムネを両手に持って出てきた。

「このふるいいえ、わたしんちなの!」

彼女は元気そうにそういうと、左手のラムネを私に差し出した。

「これどうぞ!」

「あ、ありがとう。」

私はなぜか照れながら水滴のついたラムネを手に取り、彼女と同じようにポンッと玉押しを使ってラムネ玉を瓶の中に入れた。

喉が渇いてたため、私は勢い良くラムネを口に含んだ。

シュワー

口の中で炭酸が踊るように音を立てながら消えていく。

おいしい。

私は思わず笑顔でメグミの顔を向いた。

気付けばもう日が落ちていく。

夏の夕暮れ。カラスがなき、少しづつ夜の気配を気づかせるように太陽が沈んでいく。

キキキキ…カナカナカナカナ…

家の周りを囲む森林にひぐらしが住み着いていた。

私はラムネを頂いたあと、メグミとまた田んぼ道を歩いた。

白いワンピースが赤と黒の世界ではっきりと目立つ。

私はメグミをちょくちょく見ながら周りを見渡す。

メグミは突然止まった。

「さっきからこっちみてるのわかるよ?」

「えっ…」

私は動揺する。嫌われたかな。どうしよう。

私は目を泳がせながらメグミの顔の周りに視線を向ける。

しかしなぜか二人の距離は近い。

慌てて私は一歩下がると、メグミは何となく一歩私の方に身を寄せる。

混乱。不安。恐怖。

様々な感情が私の体の中を掻きむしる。

なにがしたいのか。

メグミは目をつぶり、顔を私の顔に近づける。

ま、まさか。

してみたい。でもこんなぼくが?

そう思いながら、目が回る。

メグミは目を開け、怒った素振りを見せると、再び目を閉じ、思いっきり唇を私の唇にくっつけた。

やわらかい。でも甘い。

ふわっと香る彼女の長い黒髪。

突然ざわっと風が吹き、同時に私達は顔を離した。

メグミはにこっと微笑み、また進行方向を向いた。

「好きってきもちをもってるのはマコトだけじゃないんだからね。」

さすがにその日の絵日記には今日の出来事は書けなかった。

しかし私はこう書いた。

「きょうはしろいようせいさんにであい、なつというきせつのたいせつさをおしえてもらいました。」